「ありがとう」と「さようなら」の文法的解釈  「ありがとう」と「さようなら」の文法的解釈

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昨日、長時間車を運転しながら考え事をしていると、ふと普段使っている「ありがとう」と「さようなら」の原形に気づいた。

この2つの言葉は我ら日本人にとって、とてもたいせつな言葉である。
感謝の気持ちを伝える言葉。そして、別れを告げる言葉。
この言葉を真剣に考えると、おもしろいことに気づいた。


「ありがとう」

漢字では「有難う」と書く。
旧仮名遣いで書くならば「ありがたう」。
さらに戻せば「ありがたく」。

…「ありがたく」。
このままでは全くの意味不明である。
しかし、時代劇などでよく聞く、ある言葉を加えると何となく見えてくる。
「有り難き幸せに存じます」
勝手な持論であるが、「ありがとう」はこの言葉の省略形であると考えるのが自然ではないかと。しかしながらこの言葉もなにやら複雑である。
「有難い」「幸せ」であるということを「うけとめる」とでも無理矢理ながら別解釈するにしても、どこか引っかかる。
とりあえず、いえることは「普通じゃありえない幸せを頂けるなんて光栄です」くらいの意味としてとらえられてきたのかな、と。
「有難い」という単語を以上の視点から見ると、本来は「ありえない」といった否定的単語であるはずが、時代の流れによって感謝の気持ちを表す単語になったと考えると、なんだか不思議に感じるのは自分だけだろうか。
数ヶ月あたり前に読んだ記事で、東京の若い世代の間で初めて出会った同士が「ありえない」と挨拶するのだとか。
彼らの解釈は「こんなところで会えるなんて、ありえない」というところだろうが、このときの「ありえない」の意味は、今の論題の「有難い」に近いものがあるのかなとも、突然思い出して考えてしまったのである。まぁ、「ありえない」といった「微妙」な言葉にいろんな意味を集約するのは現代の日本人の悪い癖ですが。


「さようなら」

旧仮名遣いで書くならば「さやうなら」。
こうすると、この単語が2つに分解できるではないか。

「さやう」 「なら」

「さやう」といえば、指示語「それ」に相当し、
「なら」は仮定の接続である。

ここでそれぞれ同じ意味の違う単語に置き換えてみよう。

「それ」 「では」
「それ」 「じゃ」

現代日本語では頻繁に「それ」を省略する傾向があるので、
省略すると以下の通り。

「では」
「じゃ」

見事に普通の会話の別れの言葉に化けるのである。

何が「さよう」「なら」なのか、この言葉でいったい何をまとめたいのか謎である。

日常の話し合いでも、よく「そんなところで、今日はお開きにしましょう」とか、
我々は指示語の「それ」が大好きなようである。

ちなみにヨン様の国、韓国でもこの言葉に相当する言葉があるのも一筆の価値があるのでは。
別れ際に話をまとめるため発するこの言葉、「그럼< KeuReom - クロ >」である。直訳すると「それなら」となるのだが、使われるタイミング、意味までそのままなのだ。
いったい、日本人も韓国人も「それ」という指示語で何を言いたいのだろうか?
誰か、答えを知っている人はいないだろうか?

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韓国語を少し話す。
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