F1速報plus - F1熱狂時代。グランプリ・ノスタルジア 1987-1993
就職活動のために空港の本屋で時間をつぶしていたときに、その表紙に惹かれて衝動買いしてしまった雑誌。
買ってしばらく読んでいなかったが、昨日の夜、久しぶりに手にとってじっくり読んでしまった。なんだか、とても心が熱くなってしまった。
1980年代から1990年代前半までのF1は、F1サーカスが死語同然になってしまった今とは比較にならないほど個性と情熱にあふれていた時代だと思う。この本はそのころの熱狂を凝縮した、とてもよい本である。
自分がF1を見始めたのが1991年の鈴鹿から。中毒のように見始めたのが1993年の開幕戦から。ちょうど、セナ、プロスト、マンセル、ピケの四強時代の終わりだった。また、F1がパワー至上主義からハイテク、エアロダイナミクスの時代にうつる頃でもあった。93年の終わりを境に、F1は急カーブを切って変わってしまったことは間違いない。四強やホンダが去ってから、特に日本でのF1熱は冷めてしまった。
熱狂時代がなぜ熱かったか考えてみると、もちろん常勝ホンダの存在やバブル景気の影響もあったが、
当時のF1番組が、チャンピオン争いをする主役以外にもきちんとスポットライトを当てていたことも影響していると思う。今宮さんや川井さんが的確かつ辛口なコメントで盛り上げていた当時が懐かしい。三宅さんの心熱くなる実況も懐かしい。
94年からはシューマッハの独壇場になり、自動車会社がマーケティングの舞台として利用し始めてから、どこかF1の世界が窮屈になった。あまりにもシューマッハが強すぎて、97年のビルヌーブを除けば1994年から2004年までの11シーズンの間、1970年代生まれのチャンピオンが全く生まれていないということも、ドライバー一人一人の個性を奪ってしまったような気もする。
2006年にシューマッハが引退に追いやられるまで、熱狂時代に比べるとF1はおもしろくなかった。
でも、シューマッハ引退を機にF1はまた、すごく変化したようだ。
勝手に名付けてしまえば、新四強時代が到来したのだ。
アロンソ、ライコネン、ハミルトン、マッサという同じ実力を持った4人が、80年代の四強のようにとても強い個性を持った存在であるのだ。
また視線を中堅グループに移せば、ロズベルグやクビサが構えているし、下位カテゴリにもセナ、マンセル、ピケ、中嶋といった、まさに熱狂時代の2世世代ドライバーがF1シートをねらっている。
さらにはアグリの参戦もバブル時代のジャパンマネーの席巻と記憶が重なる。
そして、デジャブはこれだけじゃない。
カナダで琢磨がアロンソを抜いたシーンは、レイトンハウスがセナを追い回し、かわしたシーンを連想した。
ハンガリーでアロンソがハミルトンを妨害したシーンは、セナ、プロの戦いを彷彿とさせるほど熱かった。
何を言いたいのかというと、F1はもう一度個性を取り戻し、再び熱狂できる時代へとシフトしているのではないか、ということ。だから、今年のハミルトンとアロンソの骨肉の争いは、いい意味でファンにとっては望んでいたものだし、今までのF1に失われてしまったものをもう一度取り戻したのだと思う。F1の主役は企業ではない。主役はチームであり、ドライバーなのだ。
だから、最近F1を見ていてすごく心が熱い。
だから、きっとおもしろいと思える。











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