Zooomrが完全復活したので早速写真を投稿。
先日東京へ行ったときの写真です。都内某駅にて、なんとあの修悦体と遭遇しました。
この空間を切り裂く斬新さ。看板屋の息子として生まれた自分には鳥肌ものです。
どこの田舎の変態かと思われていたかもしれませんが、そんな視線を気にもとめずに20分くらい修悦体を指でさわったり、離れて眺めたり、何枚も写真を撮ったりしてしまいました。
今の時代、物流がよくなったり、パソコンで誰でもレタリングされた文字を印刷できるようになったこともあって、看板屋の立場は狭くなる一方です。
つい20年前までは筆1本で看板屋が成り立ったものが、今では大判プロッタや大判プリンタがなくては勤まりません。それだけ看板に対して求められる、時間的な能率と品質が求められてきているのだと思います。職人が機械に取って代わられているわけですね。
さらに、プロッタやプリンタってそういう部門を持つ会社とかなら自前で用意できちゃったり・・・。
と、話は修悦体からそれてしまいましたが、効率性と品質を求められているという点を確認して話を戻します。
この修悦体、斬新であり、刺々しく、ひねくれていて、いややっぱり素直であるような、今の看板屋の常識では捉えることができない「看板」です。
その材料や作業行程は今の看板制作の全くの対極であるといっても過言ではありません。
看板といえば直にペンキで描くか、カッティングシートにプロットして貼り付けるか、という発想しかありません。
さらに、書体もきちんとレタリングされた丸ゴシックか角ゴシックが定石であり、太さもBoldかそれに近い書体を選びます。(ちなみに看板で明朝体は、離れてみたときに細く見えるのであまり使いません。)
なのに修悦体はガムテープで作った決して太くないゴシック体。
しかもその継ぎ目やカーブの切り落とし方は、カッティングシートやペンキの出来と比較すれば、正直汚いと思われてもおかしくありません。
しかし、デザインと材料の調和がよく、超個性的であるために、かえって人々に注目されたのかな、と思います。
もしこれがただのペンキやカッティングシートだったらここまで注目されなかったはず。
実際目にすると、この自己主張がすっと感性に入ってくる。不思議です。魅力的すぎます。
私はこれまでに、それなりの数の看板にふれてきたと思っています。
ただ、この「修悦体」だけは、ふれてきた中のどれにも分類することができません。
タグをつけようにも、「修悦体」としかつけられないのです。
修悦体はとてもアナログで、職人的で、看板に対する概念を一気に巻き戻す存在であるかのようです。
修悦体は、職人としての表現の仕方を明快に教えてくれる気がします。
そうしみじみ思いながら私はその駅を後にしました。
40日後、私は映像機器を扱う会社に就職します。













こんな話ができる人だったとは!
こういう、こういう話がしたい。是非ともしたい。
これからもよろしくお願いします。