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韓国好きと呼ばれて  韓国好きと呼ばれて

会社の同期を前にした自己紹介で韓国通だという話をしたら、同期の中で私が韓国みたいになってしまった。 大変結構なことだが、その後様々な質問を浴びせられるようになった。 そこで、あまりにも周りが持っている韓国(というか外国?)に対するイメージが偏重していることを痛感した。

この偏重はどこからくるものなのか、ちょっと真剣に考えてしまった。 私は、今まで韓国に関する知識をいろいろ詰め込んできたが、 その成果が誰にも理解されぬまま今に至っていることに今回初めて気づいたのだ。

これを機に、私が持っているものを何かアウトプットしてもいいのかな、と思えてきた。 とりあえず、ここ最近話した話題と、そこで思ったことを書いてみることにする。


私は大学1年生の時から韓国語を勉強し、かれこれ6年以上様々なメディアや人を通じて韓国文化に直接触れてきた。
韓国語能力試験4級も持っており、韓国のことをよく知らない人に比べれば知識は相当多い方だと思う。
そのために私は"韓国好き"として知られていることが多い。
しかし、確認しておきたいのは、私は"韓国マニア"であって、韓国を"愛している"わけではない。
韓国という国を、ただ究極的に知りたいだけなのだ。

私は「好き」という言葉は非常に曖昧で、重要な意味を持たないと思うのだ。 なのに、周りからされる一番多い質問が「韓国が好きか嫌いか?」というもの。 もちろん韓国に興味がある(=好き)のだけれども、この質問の意図が漠然としていて答えられない。 初対面ならなおさらだ。好きだから、あるいは嫌いだから何になるのだろうか。 だから私は「韓国はおもしろい(=好き)」とだけ答える。 でも、格好つけてるだけに思われるので、具体的に好き嫌いをあげるなら以下のようだ。

好きなところは、韓国人のおおらかさ。割り勘するときに1円1銭にまでこだわる日本人よりは、見栄を張って全額おごってくれる韓国人が気持ちがいい。当然こちらも何かで返してあげないと嫌われるが。 あと、集団での自己主張の強さは、人間として見習うべき点がたくさんある。たまに行きすぎて卑しいところもあるけれど。

嫌いなものといえば、ソウルの公共交通機関の公務員の不親切さだとか、排気ガスに汚染された大気だとか、地下鉄や町並みの汚さ。 そして、自分さえよければいいと考える人が多いところ。日本もそうだけれど。 できりゃーいいんだ(ケンチャナヨ)的ないい加減なところも嫌いである。それが安全基準に関わるものも多く、冗談じゃない。 あと時間や約束にルーズな人が多い。何とかしてほしい。

それにしても、韓国が話題になるにつけ、押しつけられるように「私は韓国が嫌い」といわれることも多い。 このご時世だから理解できないこともないが、なぜあえて初対面の私にいうのだろう。 あなたは私との間の話題を、1つ捨てたことに気づいていないのだろうか。 そして、嫌いだという「意志」とその「理由」を直接韓国人に実践し、伝えることができるのか私は問いたい。

「好き嫌い」に関連して、政治的な話も頻繁に話題にあがるのだが、正直私には何ともいえない。 専門家でもないし本気で調べたこともないからである。 現実的に、私が何か言うことで政治家を動かせるわけでもない。 ちなみに、韓国人とそういう話題になることもあるが、 国同士の問題であり、個人間の問題であると取り違えてはいけない。

ただ、だからといって何も知らなくてもいいとは言わない。語るなら、両国の主張とその衝突点を原文レベルで知る義務はあると思う。 なぜなら、韓国の何らかの記事が日本語に翻訳されても、翻訳者や配信者の意図が混じっている上に、多くの背景知識が必要だからだ。 直訳や翻訳じゃ伝わらないことが多々ある。 こうして中立の重要性を主張している私が翻訳しても、きっとそこには私の意志や意図が混じるだろうし。

だから、原文で直接感じることができなければ、アマチュアに多くを語る権利もないし、少なくとも私はまだまだそんなレベルに到達していない。 韓国について知れば知るほど、私には何も語る権利がないことに気づかされることが、今までに何度あったことか。 まぁ、それ以前にここまで深い部分に興味を持つ人はいないとも思うのだが...。

偉そうに聞こえるかもしれないが、私が周りの人々に思うことは、韓国や自国に対して客観性が少ないのだ。 日本という国がいかにガラパゴスなのか、まだ直接感じたことがないのではないか。 私は韓国を知る過程で、むしろ日本について知ったことが多かったと思う。 日本人として持っていた感覚が、韓国という存在によって次々と壊されたのだ。 それは衝撃という言葉でも形容しきれないほど大きなものだった。

この体験を共有できる人に、私は今まで出会ったことがない。 それが、私にとって一番寂しいことである。

今の私にとって韓国という存在は、私が日本人であるという固い殻を破るための手段であり、 ただ韓国を知ることが目的ではなくなっている。

私は日本人であり、人である。韓国人もまた、人である。 私が見ているのは、国や組織ではなく、生々しく行動する人である。 なぜ私がこんなにも他国について知りたがるのかと言えば、その生臭さに魅力があるのだと、私は思う。

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